パラダイス ナウ~自爆へ向う青年の48時間
アラビア語。ゴールデングローブ賞外国語映画賞受賞。
“自爆”を字面として知っていたにすぎなかったんだ。。
この映画は、イスラエルに占領されているパレスチナで、自爆攻撃者に選ばれた若者二人の48時間を丹念に映してゆく。
見事に心を映した青春映画であると同時に、世界にたいして深い問いをなげかけてくる重い映画でもあるでしょう。
90分間、画面に釘付けになりました。
パーレドとサイード。
しがない自動車整備場で働く二人の若者。
彼らが見下ろす戦闘で荒れ果てた町。
銃撃戦のさなかにも撮られたという臨場感でそれだけで言葉を失わせるにじゅうぶんな迫力がある。
自爆攻撃者に選ばれたことを英雄になれると素直に喜ぶパーレドと、密告者であった父の不名誉を晴らすことができると思うサイード。
日頃、武器を持たない人を無差別に殺す自爆攻撃者に怒りを覚えるけれど、そこに至る彼らの心情を思うことはほとんどなかったことにあらためて気づく。
スピルバーグ監督の「ミュンヘン」は徹底してイスラエルの側を描くもので、そのイスラエルによって占領されている地域の人びとは不在の映画だった。
イスラエル側の葛藤を描くことも価値はあったのは確かだけど、
ならば鑑賞者の私はパレスチナのほうも同様に観ないといけないと思うの。
そうでなければ、ハリウッド映画という数字にあかして大ヒットするユダヤ人的情感にのまれてしまうんじゃないかしら。
まして日本は報道からしてアメリカ寄りだし、映画に関してはまるでアメリカの属国のようなものだから。
どちらも観ないといけない。
いや、こういう映画を観ると、日本からみえているものは世界のほんの一部にしかすぎないのだとあらためて思う。
「自由と人権と土地を奪われたら人間は戦うしかない」
「武器を持つイスラエルにたいし、武器を持っていないパレスチナは自爆するしかない」(大意)のだと。
母親をはじめとする家族とのささやかな安らぎよりも自爆を良しとしなければならない彼らの環境が恨めしい。
またその自爆のための便利な宗教的洗脳と、彼ら二人に自爆を命令する者たちの言葉の中の欺瞞がそらぞらしい。
彼ら二人が今生の別れを告げるべくカメラの前で声明を読み上げている時、周囲の者たちは平然とパンを食べている。
食べることと同じ線上に自爆が存在するなんて。。。
そして彼らは死装束ともいえる黒のスーツとネクタイという正装になる。スーツの下には決してはずすことの出来ない爆弾を巻かれ。
町のカメラ屋では自爆者たちの声明を読み上げこの世に別れを告げる映像が売られている。同じようにして密告者のビデオも売られているという。
人間そのものが武器となる悲劇が胸をしめつける。
この映画の前では、平和な場所に暮らす自分の言葉はどんなに並べても、パレスチナのあの地では無力であり虚しいだろうと思われてしまう。
けっして自爆を良しとはしないけれど、彼らが置かれた切羽詰った状況をこうして映画のなかで彼らの言葉で見せられると、では他にどうしたらよいのかわからなくなってしまう。
しかし言葉を失った私の代わりに、サイードと惹かれあっている娘がパーレドに自爆は間違っていると訴えてくれる。
だけど、日本人が自由と人権と土地を奪われたらどうするんだろう?
チベットの人たちのように非暴力でいられるだろうか?
その問いは重い。重くて重くて苦しい。
けれどこの映画には青春映画の繊細さが息づいている。
心の襞にやるせなさがしみこんでくる。
その柔らかな彼らの心の襞に重い楔が打ち込まれる。。。
名作です。
前回とりあげた「ヒマラヤを越える子供たち」と同様、ぜひぜひご覧になってみてくださいとお願いしたい映画です。
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